捨てられないモノたちと、味わいたくない感情

急にパソコン内のデータを断捨離したくなって始めたら

数年前のファイルが出てきて

思いがけず振り返りの時間となりました。

 

あれ?こんなもの大事にとってあったの?と思うようなファイルがいっぱいあり、

必要かどうか判断せず、とりあえず保存してしまう

「後回しにする」自分の性質が浮き彫りになりました。笑

  

苦手な相手などに

自分の無意識が投影されていることはなんとなく自覚しやすいですが

家の中にあるモノや、パソコンの中のデータにも

気付いていない自分が映し出されています。

 


  

なんとなく捨てずに持っているモノが映し出していること

 

・普段使っていないけれど、持ち続けているモノ

・あることは知っているけれど奥の方に押し込められているもの

・いつか使うかもしれないからと言いつつ何年も取ってあるモノ

 

これらには、自分の無意識が投影され

あまり感じたくない感情がくっ付いています。

 

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例えば、誰かに頂いたけれど

使うタイミングがないまま放置しているモノもあります。

 

 

もう意識を向けていないのに、

どうして持ち続けるのか?捨てないのか?

それは、捨てることで

感じたくない感情を味わうことになるからです。

 

 

大切な友人から頂いたのに捨てる、ということは

相手の気持ちも捨てることだ、と思って

なかなか手放せなかったりします。

相手には分からないのに。笑 

 

捨てる(手放す)ことは、相手の愛情を捨てるようなものだと解釈して

愛情を受け取れないひどい私を自覚したくないために

持ち続けているのですね。

 

自覚したくないということは

そんな自分であることを無意識に知っているのです。

 

つまり、 

愛情をないがしろにするひどい奴だから、

そんな自分にならないように(嫌われないように)

「相手の愛情は大切にしよう」という価値観が生まれます。

 

 

でも、放置している・・・ということは、

愛情拒否する自分に気付きたくないから

モノを手放すことももできないということです。

 

 

モノには、自分の無意識の解釈や価値観がくっ付いていて

私たちは,くっ付いた「何か」を見ています。

 

モノそのものの存在を見ているのではなく

投影されている自分の無意識を見ているのです。

 

宝石が好きな人もいれば、無頓着な人もいます。 

なんでもない石ころでも

そこに大切な思い出がくっ付いていれば宝石のような価値になります。

  

そのモノの価値がどうであるかではなく

何が投影されているのかによって

自分にとって価値あるもの、ないものと判断しています。

 

 

無意識の自分に触れる作業

  

使わないまま奥の方にしまってあるモノが多ければ

見ないままにしておきたい、感じたくない感情がいっぱいあるということかもしれません。

  

目には入らなくても、あることを知っているのなら

それは無意識に気になっています。

 

いろんなモノに意識を向けるということは

自分の中にあるたくさんの無意識の情報を顕在化するようなものです。

   

 

顕在化した情報によって

私はこういう人である、と認識しています。

  

潜在意識には他の可能性がいっぱいあっても

その情報が顕在化しないと、それ以外の「わたし」を信じることができません。

 

例えば

私はお金がないと、認識していたとしても、

豊かな私は、潜在意識の中にたくさん情報として存在します。

 

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しかし、それらの情報を顕在化しようとしても

習慣化していないために、潜在意識が許可していません。

 

 

普段、顕在化しない情報が

潜在意識のルールを破って顕在化するときは

ザワザワしたり、モヤモヤして身体が反応します。

  

豊かな自分を信じて顕在化しよう(思い出そう)としても

身体が反応するので、不安を感じたりして

思い出すことが容易ではないでしょう。

 

今まで大切にしてきたルールに反することは

潜在意識にとって危険であると判断しているからです。

 

 

これらと同じように

 

いつも触れることがない、気にしなかったモノたちに意識を向けて

無意識の自分を見つけていく作業は

 

普段、意識していない感情など(情報)が顕在化するのでザワザワしたり、

断捨離は面倒だな~と感じて、なかなかやれなかったりします。

(書きながら自分でアイタタタとなっております。)

 

 

感じたくない感情は

見たくない自分の性質を表していて

それらは今まで抑圧してきた自分の本質(良さ)そのものです。

 

 

味わいたくないから外(他人)に投影し、

相手を遠ざける(嫌う)という行為になりますが

 

それは、本来の自分に戻りたくて

他人に映し出して気付こうとしています。

 

 

なんだか部屋のモノが気になるときも

気付きたい自分の本質があるのかもしれません。

 

 

苦手な他人に向き合うよりも

部屋の断捨離のほうがハードルが低そうですね。笑

 

 

モノに投影されている無意識の価値観

  

断捨離は、ただモノを捨てて部屋の中をスッキリさせればいいのではなく

ひとつひとつ、向き合って

自分の内側と対話をすることがとても大切です。

 

 

なぜそれを持ち続けているのか?

使わないのになぜ捨てられないのか?

などを考えながら、自分の無意識に繋がっていくのですね。

 

 

いつか使うかもしれないから持っていよう、と思うものが多ければ

 

そこには、

損したくない、後悔したくない、という想いが隠れています。

 

 

後悔したときの感情を味わいたくないので

そうならないようにします。 

つまり

普段から、後悔しないか?損しないか?を基準にしてものごとを測り

 

何か好きなことをやりたくても

損得で考えるクセが出てくるでしょう。

  

 

このように、

モノたちに投影されている自分の無意識の価値観が

いろんな現実においても働いています。

 

  

部屋の中には自分にとって

心地いいもの、大好きなもの、テンションが上がるもの、ばかりあるのなら

 

それは、自分の気持ちよさを基準にして

ものごとを測っているということです。

 

 

コアな自分が味わいたい世界を

現実の中に見つけ出すことが増えていくでしょう。

 

 

身の回りのものを観察してみましょう

 

①普段、使わないモノ、意識を向けていないけれど、

持ち続けているモノはなんですか?

 

②それらは、とくに気に入ってもいない、必要ではないのに

持っているのはなぜですか?

 

③手放すことで、誰に何を言われている気がしますか?

 

④つまり、自分のことをどんな人だと思い込んでいますが?

どんな価値観が見えてきますか?

 

⑤どんな気持ちを味わいたくないですか?

 

 

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なんらかの感情を味わいたくないから

無意識に持っている価値観によって

嫌な自分にならないように生きています。

 

それが選択の基準になっていますよ、と

たくさんの現象や、他者、モノたちは教えてくれています。

  

 

こうして書きながら

早く部屋の片づけをしたいなと思っている私です。笑

気持ちよさでいっぱいにしていきたいですね。

  

無自覚なことを少しずつ意識して

気付いていない自分を取り戻していきましょう。

 

 

   

 

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RYC認定講師 かなやまなほこ

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