親と見えないへその緒、切れてますか?

ファウンダーの 秦由佳です。

今日は、過去のメルマガから抜粋しました。

 

わたしは昔、お父さんが大嫌いでした。

お母さんも、あまり好きじゃなかったかな。

 

あの人達はわたしを置いていったし、

わたしをいつも邪魔だと思っているに違いないと思っていたし。

 

お金がないんじゃなくて、自由に使えないのは私のせいだって分かっていたし、

だから早く鳥かごから出て、私は彼らを解放してあげたかった。

 

…いや、自分が解放されたかった。

 

「親と子」というものから。

 

親と子、を越えた関係ー本当の自立へー

 

あれから十何年。

私は今彼らが大好きになった。

もちろん、イラっとすることもあるけれど、

彼らは確かにわたしの「親」であり、

でも「親」ではなくなった。

 

友達、というか、ひとりの人、というか。

 

なんていうか、

相手のことを「両親」という色眼鏡つけずに

見ることが出来るようになったんだ。

 

そうすると、だんだん色々なことが見えてきたの。

 

 

お父さんって、実はただの子どものような大人だってこととか、

お母さんって、母親っぽいけど女を忘れていないから

実はまだまだときめいていたいこととか。

 

なあんだ、ただの男と女か、って。

 

 

親としてどうあるべき、というものは

子どもとしてどうあるべき、を同時に生む。

 

私たちは、その両方を持っているんです。

 

 

その縛りは誰にでもあるけれど、

それを受け入れた上で、そこから自由になることが出来る。

 

自分のことがほんとうにほんとうに分かるようになったのは

 

「お父さん、お母さん」「こども」っていう関係じゃなくて、

「あの人達は、ただの人。みんなと同じ、不完全な人」

 

として見れるようになってからかな。

ふと今日はそんなことを書きたくなりました。

 

超短い帰省をし終え、最終の新幹線で東京に帰る時。

今までのことを振り返って

冒頭のようなことを思ったのです。

 

6歳まで私は両親と暮らしていないので

私は物心がついた時からお父さんとお母さんが出来た、

って感じで。

 

常にそばにいたわけではないから、

お父さんとお母さんというものがどんな存在か?は分からなかったし、

友達の家族がうらやましいこともたくさんありました。

 

うちはちょっと不思議な家族なので(?)

なんだか色々あったなあ、と今では思うのだけど、

とある時から、うちの両親はわたしのすることを

 

全くと言っていいほど反対もしなくなりました。

心配してくれるのは働き過ぎなことくらいです(笑)

 

親と見えないへその緒、切れてますか?

 

こういう仕事をしていると、

まだ親との間の見えないへその緒が切れていない人が結構います。

 

それはそれでタイミングなので急ぐこともないのだけど。

 

でも、私たちはいつまでも「子ども」で

居続ける必要はないんです。

 

いいんですよ?子どもから卒業して。

 

人はどうであれ、自分の根っこの価値判断を両親の

「態度」「反応」で決めています。

 

それは、幼かったころの私たちが生きていくために必要なもの。

つまり、両親に気に入られないとまず普通は

生きていけないからです。

  

でも、それが大人になってもその習慣から抜け出せないと辛い。

いつまでも「親と子」の関係を抜け出せないと辛い。

 

いつまでも「誰かの子どもで居続けなきゃ」っての、

けっこう、たくさんの人が無意識に感じているんです。

 

 

例えば、

「両親がこんなことを言うのです」というような

相手からの束縛に悩む人は多いのですが、

 

潜在意識的に言えば、それは

「自分が相手を心配させ束縛させている」んですね。

 

認めたくないでしょうけど、そういうこと。

 

「自分が親離れ」していないから、

「子離れしない親」が現実化してしまうんです。

 

 

 

そんなことを言っていてもしょうがないから、

じゃあどうしたらいいの?と言われるんですが。

 

わたしは簡単なところからはじめてくださいといつも言っています。

 

・どうでもいい話をたくさんする

・大切なことだけではなく、適当なコミュニケーションをたくさんする

・意味のない電話をする

・大事な相談ゴトだけするのではなく、普通の会話をする

 

…これってね、意外とみんな、出来ないみたいです。

 

もちろん、私も出来ませんでした。

 

 

あの人は、あの人。わたしはわたし

 

何か大切なこと「だけ」を相手に確認し、

了承を得ようとするのは、まだ相手を

「自分をコントロールする権利を持つ人」として見ている証拠。

 

でも、本来相手の持つ権利というのは相手の中にあって、

わたしたちが何もコントロールされるべきだ!と

それに応じる必要はないのです。

 

「あの人は、あの人。わたしはわたし」

 

究極なはなし、ただそれだけなんです。

 

 

また、心理学的に言えば、自分の中にある

「被害者意識」が強い人は、

 

・クレクレ星人

・あげないよーだ野郎

 

になりやすいのですが、これもまだ子どものときの感覚が

抜けていないってことになります。

 

人間は子どものとき、親の了承や快楽、

そして承認や評価を得ることによって自分の生命力を高めていきます。

 

褒められれば、そりゃ、おいしいエサを与えられる(笑)

表現はアレですが、そういうことなんです。

 

で、その時に覚えるのが

相手の興味を惹き付けるために起こす様々な問題行動です。

 

身に覚えあるかもしれませんが、

誰かの気をひこうとしてわざと悪いことをしたり、

わざと気分が悪いふりをしたことはありませんか?

 

ありますよね、一度は誰でも(笑)

 

被害者意識も、そんな感じと似ていて。

ある意味わたしたちが小さい頃生きていくために覚えた技なのです。

 

 

でも、今はもうほとんどが大人。

親の了承を生きる糧にしているだなんて、

あまりにも寂しいと思いませんか?

 

否定したいわけではないけど、ちょっと悲しいな、と思うわけです。

 

だから、私はあるときから、自分の人生に

「両親」はもういらない、と思うようになりました。

お父さんやお母さんの存在がいらない、とか

彼ら自身に消えてほしいとかではなく。

 

「両親」という概念を越えて、

「人」として付き合ってみよう、と。

 

そうすると今まで、

色々なクセがあったことに気付くんです。

 

 

「あ、無駄な会話しないようにしている」とか

「つまらない話はしたくない」とか

「心配するようなことは言いたくない」とか

「子どもでいなければいけないと思っている」とか。

 

そういうのに気付いたら、まずはやめてみたのです。

そういう「親と子」みたいな関係。

 

ぎこちないのは、そこからどんどん改善されていきました。

 

普通の人として、普通に見て、普通に遊ぶように

一緒にいるようになったのです。

 

 

 

今ではもはや、ふたりとも私のファンです(笑)

それはとても嬉しいこと。

 

親子の関係を飛び越えて、ただの人と人になったとき。

 

全てが孤立から自立に変わり、

不自由だった家という籠が、とても心地よい空間になりました。

 

(過去のメルマガから抜粋)

 

 

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