今、私はどんな解釈を加えているだろう?と、自分に戻ってみる
誤解されると、モヤモヤした気分になりますね。
どうにかして相手に一生懸命、真実を伝えようと努力するものです。
そうすることで、お互いの気持ちが理解し合えて
良い関係性が築かれていくと思うからです。
私自身は、子供のころから、友人に誤解されてもそのままにすることが多かったなと思います。
自分の言動を、勘違いされたり、言ってもいないことを言ったと思い込まれていても、
なぜか「あぁ、そうなんだ」と敢えて、そのままにすることもありました。
しかし、いつも、誤解されても良いと思えていたわけではなく、強く反応するときもありました。
友人に「それは○○ということね」と、その人自身のことについて伝えているとき、
「違う!」と言われると身体が反応するのです。
この差はなんだろう?と不思議でした。
私自身の性質や行為を勘違いされたときは、とくに反応しないのですが
私が相手自身のことを話しているとき、「そんな私じゃない」と言ったときには反応するのです。
面白いですね。
私自身を勘違いされているとき(①)は、
「あぁ、そうじゃない私が周りには映っているんだな」くらいの感覚で
私がまだ認識できていない性質を(心地よくなくても)受け入れているような感じなのです。
しかし、
相手自身のことを「○○だよね」と説明したとき(②)に反論されると
強く抵抗を感じていました。
それぞれ、無意識はどこにフォーカスしているのでしょうか。
無意識に加えている解釈
①の 私自身の性質を誤解されたときは、
と思っています。
②の 伝えたことを違うと言われたときは、
と言われた気がしています。
① 可能性の提示をされていると解釈しているか
② 間違っていると否定されていると解釈しているか
の違いです。
私たちは何かに反応し感情が揺れるとき
その出来事そのものに意識が向きます。
例えば、
私を誤解されたとき、
相手の誤解を解こうとする、ということです。
上手く気持ちが伝わらなくてモヤモヤすることもありますね。
それは、相手の誤解を解きたい
というのが本音のように見えて
無意識は、否定されたくないと思っているからです。
顕在意識で自覚している気持ち:誤解を解きたい
潜在意識の本音:否定されたくない
というイメージですね。
その出来事に加えている解釈が、心地よくないから
「誤解されている」出来事が嫌に感じるだけ。
誤解されたな、と思ったときに感じた感覚が
そこにある解釈を教えてくれています。
解釈に良い悪いがあるわけではない
誤解された→あぁそうなんだと思った
としたら、
そこには、違う私も居るんだね
という解釈を加えていました。
誤解された→嫌な気分になった
としたら、
そこには、否定された
という解釈を加えていました。
どんな解釈を付けているか?によって、自分の中から生まれる感情も変化するのです。
嫌な感情になったからといって
無意識に加えている解釈が悪いのではありません。
無意識に加えている解釈と、無意識の価値観の組み合わせによって、
生まれる感情も変わってくるからです。
もしこここで、
誤解は素晴らしい、という価値観が働いていたら
どんな解釈を加えていても、浮かび上がる感情は心地良いものになるでしょう。
誤解はいけない、という価値観が働けば
どんな解釈を加えていても、嫌な感情が浮かび上がります。
誤解されたと判断した出来事そのものが良い悪いというわけではないのですね。
しかし私たちは、無自覚に
「ホントの気持ちが伝わらない」という出来事に意識を向けて、
それをどうにかしようとしてしまいがちです。
その出来事を心地良くないと感じている要因に意識を向けないと、
同じようなパターンが日常の中で繰り返されていきます。
心地良くない感情が浮かんでくるということは、
そのとき加えている、無意識の解釈や価値観との組み合わせなどが
コアな自分にとって合っていないということです。
無意識の解釈は、他の現実においても自動的に働きます。
いつも同じようなパターンがある、としたら
それは、習慣化によって潜在意識のプログラムが働いて
その解釈をくっ付けているにすぎません。
本当はどんな解釈を加えたいのだろう?
コアな私はどんな気分で居たいのだろう?
と、一度自分を振り返ることが大切なのです。
これが、潜在意識をデザインすることです。
なのに、私たちは無意識の働きにとても無頓着でいるものですね。
コアな自分に相応しいものを身に付けよう
私の場合、
友人に説明しているときに「違う」と言われると
モヤモヤした気分になっていました。
ということは、ここで加えている
「否定されている」という解釈が私を苦しめているということです。
コアな私にとって、相応しくない解釈であるのなら
これを好ましいものに着替えればいいだけです。
「否定された」という解釈が悪いのではなく
今は着なくても良いかな、というイメージで気軽に変えてみればいいのです。
価値観を変えることも効果的ですね。
誤解が良くない→誤解されても良い
になれば気分も変わります。
ここで、
誤解されるなんて、そんなのイヤだ!という気持ちになったかもしれませんね。
その場合は、
誤解されると、自分がどうなるか?
無意識にイメージしていることがなんらかの恐れと繋がっています。
すると、感情は心地よくないものになるでしょう。
解釈の話に戻しますね。
「否定されている」という解釈が加わったとき
私はどんな出来事であっても嫌な気分になります。
心地良くない感情が生まれるということは、コアな自分に合わないと言えます。
では、それを反転してみれば、コアな自分に相応しいものになっていくということですね。
この「否定されている」を反転してみたらどうなるでしょうか?
となります。
みんなを認めている、という解釈をコアな私は持っていたいのです。
反転した解釈があまりしっくりこないこともあるかもしれません。
それは、いつも同じような解釈に慣れてしまっていて、
新しいものがどことなく落ち着かない感覚と似ています。
いつも反応する出来事を、反転した後の解釈によって捉えたら
どう感じるでしょうか?
となります。
相手がその瞬間抱いた感覚は、真実です。
たとえ潜在意識のプログラムが働いていたとしても
その感覚が浮かんでいるというのは相手にとっては真実なのです。
ただ、それを
「うんうん、そうなんだね」と受けとめるだけでいい。
こちらの説明がいずれ届くことを信じて
シンプルに伝え続ければいいのだ、と思えるようになるのですね。
私が、自分のことを誤解されても、「そうなんだね」と思えていたときは、
反転したあとの解釈「私はみんなを認めている」が
加わえられていたのだと気が付きました。
相手の存在を大切に思えていると、無意識の状態が心地よくなるので
自然に「私はみんなを認めている」という解釈や
「誤解されるのも悪くはない」という価値観が働くのですね。
届いているのは、言葉ではなく無意識の情報
無意識にくっ付けている解釈が変われば、
そこに生まれる感情のエネルギーが変化します。
その感情が言葉に乗っかっているので
発している言葉のパワーが変わるということです。
自分は本当の気持ちを伝えているつもりでも、
相手には違う感覚で届くことがあります。
そこには、無意識の恐れなどが言葉に乗っているようなものなのです。
伝わっているのは、キーワードそのものだけではなく
無意識の情報も伝わっています。
恐れを抱きながら話したとき、相手にも恐れが届いています。
同じ言葉を発しても、上手く伝わるときと伝わらないときがあるのですね。
そして、この無意識な恐れは、潜在意識の奥深くにあり
自分では恐れなどないと信じていることもあります。
ワークなどによってクリアリングしてみると良いですね。
安心した状態で、放つ言葉は、相手にも心地よく届くことでしょう。
相手の反応がイマイチだなと感じたら、
自分は今、どんな解釈を加えているのだろう?
どんな価値観を無意識に採用しているのだろう?
と、意図的に自分に戻ってみてください。
これがRecall Your Center(RYC)です。
自然と、無意識の状態が変化し、
いつしか現実が心地よくなっていることに気が付いていくかと思います。
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RYC認定講師 かなやまなほこ
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