楽しいはずのにザワザワするのはなぜ?
先日、知人が集まって食事会をしました。
ちょっとしたパーティーのような。
料理を作り、セッティングして、
始まってからも、順番に料理を手際よく出している
ホスト役の方を見ながら
私の心はどこかモヤモヤします。
「おもてなし」という言葉の何かが引っかかる。
なぜだ??
人が喜んで笑顔で居ることはうれしいはずなのに
どこか素直に楽しめない自分が居ました。
ホスト役の方は純粋にもてなすことを楽しんでいました。
思い出から見つけ出す無意識の解釈
私はここで
子供のころの記憶が蘇りました。
正月に集まる親戚一同。
幼い私には大人がいっぱい居るだけでも緊張してました。
せっせと支度をする妻たち。
お酒を飲んで騒いでいる夫たち。
そんなシチュエーションが今の私の脳裏に焼き付いています。
人が集まるときは、もてなす側の人たちがとても大変な想いをする。
ほっとする間もないくらい忙しい。
そんなイメージが子供心に刻み込まれました。
そのイメージが、目の前の現実に重なり
モヤモヤとして楽しめない気持ちにさせていたのです。
事実と解釈ワークでひも解いてみる
パーティーで人をもてなすとき
「もてなす側は疲れる」
と感じていました。
なので、ホスト役の方が楽しんでいても私は
「大変そう~かわいそう~」なんて無意識に感じているのです。
だから、ゲストの方々が楽しんでいるのに
モヤモヤするという現実を味わいます。
事実は?
人が集まって食事している、
料理を用意している、
だけです。
では、
解釈は?
人が大勢集まると自分を犠牲にして
おもてなししなくてはいけない、
と思っていたのです。
いつのまにか、くっ付けている解釈
私たちの持っている無意識の解釈は
過去の経験から創られ
今、いろんな現象に対しても
くっ付いて現実として見えています。
私が付けた解釈は
子供の頃に付けたもの。
そのとき、支度していた母たち女性は
もしかしたら、
夫たちが居ない、田舎の台所で
ワイワイと楽しく愚痴りながら作っていたのかもしれません。笑
もしかしたら・・・
夫や子供たちが食べる前に
一番おいしいところを、つまんでいたかもしれません。笑
楽しそう~。
そう思うと、幼い私が勝手につけた解釈を
大人になった今でも持ち続けているのって
なんかおかしいなと思えてきます。
解釈はいつ付けたのか分からないくらい
無意識に付けている。
それを大切にも持ち続けるか
今に相応しいものに変えるか?
いつでも選択できることが
本当の意味での自由な生き方です。
モヤっとした現実を通して
無意識に付けた解釈に気付く。
それを改めて、選択しなおせる自分になって
のびのびと生きて行きたいものですね。
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RYC®認定講師 かなやまなほこ