他者に「やらされている」と不満を感じたら
人生が上手く行っていると感じるのか
上手く行っていないと感じるのか、
それは、実際に起きていることとは関係がありません。
私は数年前、飲食店に勤めていました。
材料の仕込みが毎日あるのですが同じことの繰り返しです。
ある日、学生アルバイト君が
「毎日、同じことしてて飽きないっすかぁ?」と、 聞いてきたので
私は、「全く飽きないよ」と答えました。
当然、驚かれたのですが
この行為は私にとって、ただの作業ではなかったのです。
行為の持つ意味が喜びの世界観と一致しているとき
使う人が扱いやすいように、食材がベストな状態で仕上がるように、
それを口に入れた瞬間、おいしさが広がり食べた人たちの心地よさにつながるように、
ということをイメージして常に、仕込みをしていました。
最初の作業がどんどん次の世界をイメージさせ
たくさんの喜びを広げていくような感覚です。
私にとっては、作業と、到達する喜びの世界(コアの感覚)との
繋がりがしっかりとイメージできていたのです。
イメージが繋がると行為そのものが尊いものになっていきます。
それがどんな小さな行為だったとしても。
全ての行為には意味があります。
道端のごみを拾うだけでも
その行為が先の世界に繋がっている感覚があれば
喜びとなります。
この感覚が常にあれば
それは潜在意識に届き
喜びの世界が現実に投影され続けます。
実際にやっていることではなく
その感覚が届いているので
無意識に意図していることがとても重要になってくるのです。
意図と繋がることで充実感が感じられる
誰もが、どんなことであっても
無意識に持っている目的があるはずなのです。
それは、行為そのものに意味があるのではなく
私たちにその意味を創り出す力があるということ。
目的(意図)がイメージできている行為は
自分にとってかけがえなのない宝物のような存在となります。
行動そのものと意図とが繋がっているとき
内側では確信のようなものが生まれます。
「わたし」を表現して生きているという感覚が生まれるのです。
繋がりさえ自分がつかめていれば充実感が生まれます。
結果的に、幸せな気分で居られるということです。
ビジネスの結果が出ているから、
パートナーと仲良しだから、
幸せである、
ということではなく
どんなプロセスも
自分の生きる意味に繋がっていれば
瞬間瞬間がとても喜びに感じられます。
それは、
掃除や洗濯などの家事であっても同じことです。
他者の意図か、自分の意図か
やらされていると感じているときは
他者の意図をくみ取ってやっている感じです。
つまり、自分の世界を表現していないということ。
自らやっているときは
自分の意図を読み取ってやっている感じです。
自分を生きているという感覚が浮かびます。
自分を生きている=充実感
が感じられれば
人は幸せを味わうことができるでしょう。
やらされているときは他者に文句などが生まれます。
自分の生き方や行動に意図を見いだせていないと、
自分自身に文句が溢れるのです。
自分が意図する目的を認識できていないとき
そのサインとして
他者にネガティブな感覚を感じます。
それが
「やらされている」という感覚です。
もし、
イヤイヤ仕事をしていたり
家事に嫌気がさしていたりするのなら
本来のコアな目的はなんだろう?
と自分に問いかけてみましょう。
他者のせいで、こんなことしなくちゃいけない
と感じているとき、
どんな自分を表現することを諦めているでしょうか?
どんな性質を受け入れていないでしょうか?
コアにたどり着くことで喜びの世界を認識し
行為と目的が一致します。
上手く行っている、という感覚は
そのとき生まれるのです。
やらされていると感じる感覚は
無意識に諦めている自分や、抑圧している性質を見つけ出すために
そのように感じさせられている体験です。
嫌だから、避ける
ブツブツ言い続けながらやる、
という向き合い方から
一歩、新しい世界に踏み出して
自分自身のコアに繋がっていきましょう!
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RYC認定講師 かなやまなほこ
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