「○○された気がする」は、自分が自分にしていること

私たちは自分のことは知っているつもりですが

自分の本音すら、分からないものですね。

 

何かを質問されたとき、自分の気持ちだと思って話しますが

それは、今、顕在化した情報に過ぎなくて、

潜在化している本音とはズレていることもよくあります。

すると、自分が自分の発言に対して、ズレを感じ、モヤモヤしたりします。

その反応すら、無自覚なこともあるでしょう。

 

 

  

自分のことは分からない

 

友人と他愛もない話をしていたら、自分の本音に気付いた、

なんて経験があるのではないでしょうか?

例えば、

「あなたは○○なのね」と言われたとき

もしも、しっくりくる感覚があるのなら、それは

自分が受け入れている性質といえます。

逆に、違和感があるとしたら、

自分が受け入れていない性質を教えてくれているサインです。

 

このように、私たちは他者や出来事を通して感じた反応によって

自分の無意識とアクセスしているのです。

 

私たちは自分のことを自分一人で知ることはできません。

外側に映し出すことでしか観ることができないのです。

 

これを鏡で説明してみますね。

 

鏡を見ないと、自分がどんな表情なのか?分からないですね。

 

自分が笑顔で居れば、映っているのは、笑顔に決まってる、

怒った顔で居るなら、そう映ってる、と思うかもしれません。

しかし、わりと・・・ズレがあるものです。

 

 

私は、相手の話しを聞いているとき、自分が微笑しているつもりでいました。 

しかし、あるときフッと、

微笑のつもりだと思っている自分の顔は、どんなものだろう?と

鏡で見てみたことがあったのです。

なんと、微笑していませんでした!びっくりです。笑

やっぱり自分では分からないものだな、と思ったのです。

 

 

現実は鏡に映った自分のようなもの

  

笑顔で鏡の前に立てば、笑顔が映っています。

怒った顔で鏡の前に立てば、怒った顔が映っています。

 

当たり前のことですね。

 

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先ほどの私のケースのように、

笑顔のつもりで立ってみたけれど、鏡の中の私は

笑っていなかった・・・

としたら

自分の表情を変えようと思いますよね?

 

鏡がおかしいのだ!と、

鏡を磨いたり、鏡を違うものに変えようとはしません。

 

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現実世界も、鏡と同じようなものです。 

他者に映し出された景色を見て、私たちは反応しています。

 

例えば、

鏡ではなく他者の前に、笑顔で立ったとしましょう。 

そのとき、相手が「何怒ってるの?」と言ってきたとします。

すると、どんな反応をするのでしょうか?

 

もしかしたら、

「怒ってなんかない!」と文句を言ったり、

勝手に勘違いされて嫌な気分だわ!なんて思うかもしれません。

 

 

自分の表情が相手には怒っていると判断されました。

これは、鏡にそう映っていることと同じです。

 

鏡の場合は、私たちは鏡を変えようとはしませんが

他者である場合は、他者の認識が間違っている、と感じてしまいます。

 

その結果、

誤解された、分かってもらえない、否定された、などと

相手が違うのだと思うのですね。

 

 

相手にはそう見えただけ。

そう映っているのだから、自分の情報を変えたら違うように映ります。

ただそれだけのことなのに、

他者の言動に意識を向けて、それをどうにかしようとしてしまいがちです。

 

それが問題や悩みとして感じている現実です。

 

 

否定された気がするとき、自分が自分を否定している

 

相手に否定された気がして、嫌な気分になることもあるでしょう。

すると、誤解を解こうとして説明を重ねたり、

相手を批判して、自分を守ろうとしたりします。

 

「○○と言われた気がする」と感じたら、相手にではなく

自分の無意識にフォーカスすることが大切ですね。

 

 

例えば、

ガリガリに痩せている人に、

誰かが「太ってるね」と言ったとしても、

この人何言ってるのかしら?おかしい人ね、くらいにしか思いません。

 

最近太ったな、と思っている人に

誰かが「太ってるね」と言ったとしたら、

やっぱりそうなのね・・と、嫌な気分になります。

 

悪口言われた、と

落ち込むかもしれません。

 

 

自分が全く信じていないことを言われたときは、

自分のことだとは認識しませんが

 

もしかしたら、そうかもしれない・・と思っていることは

他者に言われたとき、反応するのです。

 

つまり、他者が自分のことを決めつけているのではなく

自分が信じているけれど、好ましくないと思っていることを刺激されたとき

強く反応して、気付くことができるのです。

 

 

無自覚だった情報(自分の性質)を、他者や出来事などに刺激されることで

知ることができるのですね。

 

 

自分の存在を相手に明け渡している

  

誰かが自分のことを○○であると判断したところで

何もそうであると受け入れる必要はありません。

 

もしも、相手に誤解されて嫌な気分になったとしても、

誤解された自分を採用する必要もありません。

  

しかし、誤解を解こうとか、認めてもらおうとすることに

パワーを使っているとしたら

それは、自分の存在を相手に決めさせていることと同じなのです。

 

相手が自分の存在価値を決めているのだとしたら、

相手の判断は自分にとって大きな影響力を持ちますね。

 

しかし、私たちは自分のことを自分で決めて良いのです。

自分の気分も、今この瞬間、選ぶことができるのです。

 

 

相手にどう思われているのか?を気にしすぎていることは、

自分のことを他者に明け渡します!と、

潜在意識にオーダーしているようなものです。

 

それでもやっぱり、他者に意識が向いてしまうのは、

意味があるからです。

 

 

鏡は自分を知るための手段である

  

鏡(他者や出来事)は、自分の無意識が映し出された現実世界です。

 

それをどうにかしようとすることは、意味がありません。

違う鏡に変えれば、違う自分が観える訳ではないですからね。

 

しかし、人が自分のことをどう思っているのかって、気になりますね。

それは、

無意識に否定してしまっている自分の性質や本音などに

気付くためのサインだからです。

 

 

自分の抑圧された性質が現実という鏡に映し出されたとき

違和感や嫌な感覚として認識することができます。

それは、嫌いな人や、問題と感じる出来事などとして見えています。

 

その反応によって、本当の(コアな)自分とズレていることに

気が付くことができます。

気付いたら、その勘違いを辞めればいいだけのこと。

本来の自分に戻れば良いのです。

 

だから、私たちは、いつまでも現実世界に対して反応します。

自己のチェックを毎日しているようなものなのです。

 

 

そこを忘れて、

嫌な感情や違和感が浮かんだからといって

相手や出来事に対して、意識を向け続けることは

「自分自身で居ること」「本来の自分を生きること」から

遠ざかっているのですね。

 

それでは、いつまでも同じようなことが繰り返されて

とてもしんどく感じることでしょう。

 

 

どんなに理不尽に感じても、どんなに相手が間違っていると思っても、

コアな生き方に気付くまで、潜在意識はとことん

愛を持って気付かせようとしてくれます。

 

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今まで、他者に意識を向けていた生き方が長ければ

それは習慣化となって自動的に繰り返されます。

 

その習慣を変えるには、

意図的に、自分に意識を向けるようにする必要があります。

 

だから、ワークなどで何度も何度も

コアな自分にアクセスすることが大切なのですね。

 

いろんなワークをご紹介しています。

何度も、やってみてくださいね。  

  

 

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RYC認定講師 かなやまなほこ

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